メンタルヘラクレス〜12の錠剤〜

気持ちを整理して記録します

現実から目を背けるための奔走だったのか

私は「思い出し●●」が多い人間です。その時は何ともなかったのに何年も前の発言を思い出し怒り、思い出し笑い、つまりは出来事をよく反芻します。数日前、臨床心理士によるカウンセリングを受けました。収穫の多い時間でしたが、その際の内容が今になって良くも悪くも心に大きな影響を与えています。

 

「好きな事は夢中になれるのに、仕事や家事のような義務がうまく出来ない」という問題に関して相談しました。最近出勤前に具合が悪くなり仕事を休むことを繰り返しており、このままではいけないからです。私としては発達障害が原因しているのではないかと思っていました。物心ついた頃から、興味のないことに対しては心身症が出るほど拒否反応を起こすのに対し、好きな事はずっと考えていられるし周りが見えなくなるほど熱中するというADHDアスペルガーの特性が大人になった今も極端に現れており、生活に支障をきたしてしまうのではないかと。

しかし、伝えられたのは予想の斜め上の意見でした。「『躁的防衛』という現象が起きており、嫌な対象から逃れたい気持ちから他の事に夢中になっているのではないか」という指摘でした。「あなたは本当に楽しくてその趣味に夢中になっている?」と言われました。たしかに半分くらいは楽しんでいると言えるけれど、半分くらい「〜ねばならない」思考でやっている気がします。私のような患者はそういった思考に陥りがちで、基本的には鬱の気質を持っているものの、防衛のために無理矢理行動を起こします。そして予定を詰め込み、最終的に破滅し動けなくなります。これが図星でした。私は大学時代にバンドとバイトを複数掛け持ちし無理なスケジュールを組み、最終的に鬱病の薬を飲み始めることになりました。現在では双極性障害の可能性を経験から私自身で提示し、精神科を受診中です。

 

それから認識を改め「ずっと嫌なことから逃げ続けるために奔走してきた人生だったのか」と考えるようになりました。カウンセリングの際、直接的に「逃げ」のような言葉は使われなかったものの、「やらねばいけないことにまっすぐ向き合えず、ひたすら嫌なことから回避してきた」ことに変わりはない気がします。

いままでそれを発達障害のせいにしてきたけれど、ほんとうはきちんと向き合わなければいけない心に深く根付いた問題だったのだと気づき、実感するにつれ、頭の中にそれが重たくのしかかり、しんどいです。一応頑張って生きては来たけれど、人間関係を築くのが嫌で休み時間に絵を描いたり本を読んでいたのか、働きに出ることと向き合うのが嫌で受験勉強をしていたのか、授業が嫌でバンドをたくさん組んだのか…。

さらには何かに夢中になることも嫌になってしまいました。認識が曲がっているとはわかっているけれど「夢中になること」と「逃げ」がイコールで結ばれてしまいました。私は常に目標がないと生きる張り合いがなくて嫌なのですが、軽率に目標を持つと「現実から目を背ける」ことにつながるのではないかと思い、筆が止まりました。絵を描くことも資格の勉強への意気込みも落ちました。現実、つまり目の前にある一番やらねばいけないこと=仕事、とは結びつかないことだからです。

鬱状態が改善し、仕事はできないものの興味のある事に夢中になれたのは良い事だとは医師から言われています。しかし心理士に「躁的」と言われ、無理にやっているのだというネガティブなイメージに結びつけ考えるようになってしまいました。

 

今日も仕事に行けませんでした。バスタブでシャワーに打たれながら泣きました。休みの連絡を入れた途端体の震えが治りました。