季節の変わり目がそうさせるのだろうが、
この夏はクーラーのかかった涼しい部屋であくせくと動いていた。
試験勉強、2次創作にリモートワーク、仕事では新しいプロジェクトのミーティングなどをこなした。
勤怠管理を見ると、例年夏は調子を崩していてあまり自由に動けていないことが多かったのだが今年の夏は別だった。
うろ覚えだが、人は専念すべき3つの事を持つとうまく動ける、という話を聞いた。
ひとつがうまくいかなくなっても、もう2つにすがれるため気持ちが潰れないで済む、
2つだけだとどちらもだめになりやすく、4つ以上あると手につかないからというバランスの取れたタスクの数だという。3つというのは。
私は週数回の適量の仕事、勉強、2次創作を3つの柱として週のルーチンをこなしている。
それがこの夏はなかなかうまく噛み合っていたのだ。
仕事をこなしつつ、仕事のない日は日中試験勉強に取り組み、夜は創作で一日一枚絵や小説や漫画を描くというバランスがとてもうまく取れていた。
鬱がひどく、社会復帰のリハビリも兼ねて雇っていただいた職場で「主体性が出てきて、調子も良くなってきたね」と言われた。
私自身も以前よりずっと調子良く楽しく仕事に取り組めていたし、やりたいことも少しずつできてきた。おおむね快方に向かっているのではないかと思う。
創作と勉強の日々に行き詰まると、息抜きとして仕事がしたくなる。そもそも仕事を息抜きと捉えられるのは元気な証拠にほかならないだろう。
体調も相まって絶妙に歯車が噛み合っている毎日も、気分の躁鬱に連動して波がある。
9月を迎えてから、どうも調子が悪い。
創作がなかなか思うようにできず、あまり進んでやりたいと思わない日が出てきたし、勉強の方は難関資格の二次試験の単元に差し掛かって毎日涙が出そうなほどわたしには難しく耐え難い行為になりつつある。
日々、安定剤でごまかしてやっと。それでも無理な参考書の上に顔を埋め虚無を貪り、日がなTwitterのアカウントを横目で反復横跳びして夕暮れと共に酒を入れる。
そんな事が増えてきた。
わたしは粘り強く執念深い方ではあるが、不条理に抗うほどの青春はもうとうにすぎているので、もう受からなくてもいいや、と考え始めた。
諦めているわけではないが、受かっても落ちてもどちらでもいいや、と甘く捉えるのをやめた。ここで思いつめすぎなくなったのはいいことでもあるが、確かな老いである。
昨日までしばらくなにも食べられず、屍のようだった。とりあえず体を起こしてすごしていて、以前のように寝て過ごす事が減ったことだけを褒めている。
予定に入っているからここは踏ん張りたい、と思い今日は仕事に行った。顔色が悪いと言われた。どんなに明るく取り繕っていても、体調はすぐ顔に出る。
不安定な気候が影響しているのだろうか、と話をした。そうだといいな、と思った。
なんとか日々の憂鬱感をうまくやり過ごせたら、今はそれだけを考えている。