Twitterやめてよかった
Twitterを辞めてよかった。
本当は、辞めていないし、1日に3時間くらいはみているし、TLにしょっちゅう張り付いているし、頻繁に気持ちをpostしている。アカウントも5つくらいある。
辞めたというのは、大きなアカウントのことだ。
意見発信・収集用、というか、いろいろなユーザーを集めた300人ほどフォローしていたアカウントを辞めてよかったということだ。
そして、またこちらもフォローが400ほどいるのだがそのオタク活動用アカウントは事情があって消せないため、基本的にアプリからはログアウトしている。
今運用しているのはフォロー30程度の日常垢、50程度の別ジャンルオタク垢、30程度の勉強垢のみだ。
TLの流れがゆるいことでTLに張り付く時間が劇的に減って、フォローの一人一人の気持ちを考えられるようになった。人数が多くなると、ひとりひとりのことに気づきにくくなる。いわば、ただの群れに見えてきて相手が人間だということを忘れてしまい、気が強くなってしまうのだ。
そして大きいのは、声の大きな人の意見(特に世論や討論、物申す系ツイート)をほとんど目にしなくなったことで、精神への影響がかなり良くなった。
今は私はとても小さな世界で生きている。
たとえば絵を投稿しても前みたいに拡散されて100以上のいいねをされるようなことはなく、せいぜい10いいねくらいだ。
でもPixivに投稿してみると、Twitterで100いいねの絵も10いいねの絵もほとんどブクマ数は変わらない。つまりそういうことだったのだ。
Twitter上の評価が虚栄ということが身に染みるようにわかり(もちろん反応をくれた人のことは大事にしている、ただ、フォローを増やしたから多く評価がもらえているということ)、自分はこんなもんなんだ、と卑下することもなくそのままの自分を認められるようになった。
そして評価を稼ぐために媚びるような絵を描くこともやめられて、自分の本当に描きたいものが欠けているような気がする。
やめた頃は、情報中毒状態だったし、評価依存状態でもあったから、しばらくとても息苦しかった。
ただ、1ヶ月たった今では前よりも等身大の自分をそのままに認められるようになった気がするし、自分はいろんな人に発信されるべきみたいな呪いが消えた。
小市民でいいんだ、と思えるようになった。
普通に勉強して、仕事に行って、余暇で好きな絵を描く、推しを推す。それだけで充分楽しいのだと気づいた。
それと関係があるか分からないが、それから少し調子も良くなったような気がする。
仕事に行く前の強迫がなくなり、元気になったねと言われるようになった。
メンタルの調子は確実に良くなっているので、これが寛解だといいな、とは思うが2型躁鬱病の躁は普通の人とほとんど変わらない、いわば今の状態がそれだと思うので、また落ちるのが怖い。
調子の良い間無理せず日々の自己研鑽と遊びをマイペースに続けていければ良いと思った。
今すごくメンタルが安定している。