メンタルヘラクレス〜12の錠剤〜

気持ちを整理して記録します

Twitterのアカウントを消した話と自分語りについて

最近、つとめてTwitterへの依存が激しかった。

わたしは基本的にプッシュ通知の類は切っているのだが、逆にそれが依存を促していた。

通知が来るまでずっとリロードし続ける。つまりTwitterのアプリを開き続けていることになるのだ。

iPhoneの自動でスクリーンタイムを計ってくれるシステムでは、一日平均8時間はTwitterを開いていることになっていた。

私は12時間近く寝るので、一日のほとんどをTwitterに依存して過ごしていた。そんな生活が半年以上続き、エスカレートしていった。

 

人の意見が自動的にだらだら流れてくるツールが私は大好きなようで、Twitterを始めた高校生以前はずっと匿名掲示板のROMに徹していた。

週に一度は学校を休み、布団で寝たフリをしてガラケーからずっとスレッドをながめていたのだ。

読書は内容が連綿と続いているためある程度の集中力が必要となるが、掲示板やSNSは短文がダラダラと流れてくることから、それが必要なく疲れることもなく見ていられる、情報が入ってくるのが気持ちがいいのだ。

自由な時間が増えた自分は「とにかくラクして報酬系を満足させる」ことに傾倒してズブズブに依存していった。

本来のやりたいことをやるのに力をさくより、ラクな上に、Twitterでは自分の徒然思ったことを簡単に考えなしにツイートでき、それが誰かに見られることによって認められたと思い込むことができるから、気持ちがいいんだと思う。

だから、それを満足させるために発言の内容もエスカレートしていった。過激なことを思わなきゃ、怒らなきゃ、と自然と気持ちが荒んで行った。ほんとうによくない感情の使い方だと思う。

何もないところから負の感情を無駄に増産させていたし、それが心地よく感じることじたい不健康であるのに、やめられないのはチキンレースのようで楽しいからだ。

 

やめたい、やめたいと思っていたものの簡単にはやめられず、それで本来やりたい仕事や趣味に打ち込めなかった。だから無理やりアカウントを消し、携帯のアプリも消した。

いつまで我慢できるだろうか。

今は手持ち無沙汰感がすごくて、ぽっかり穴が空いたような気持ちだ。精神的落ち込みも激しい。

また、携帯を持つ前の、小学生の頃抱えていた人間との精神の関わりが希薄であることへの虚無感を覚えながら生きていかなきゃいけないのか、と虚しくも思う。

人に自分の負の気持ちを知って欲しい、という感情は幼い頃から持っていた、もはや生まれつきの性格だから直せないものだとも思うし。

隙自語という言葉があるが私は自分語りが大好きで誰よりも自分のことを知って欲しいという自負がある。そんな自分を治していきたい。

またカウンセリングに通おうと思う。